転載〜『ビッグイシュー』創刊3年販売員が再就職〜

東京新聞3/19朝刊(32面)にビッグイシューの記事が載ったようです。
http://www.tokyo-np.co.jp/00/thatu/20060316/mng_____thatu___001.shtml
以下、記事より転載

ビッグイシュー』創刊3年販売員が再就職
■脱『路上』に道

今年一月、二人の元ホームレスが“社会復帰”を果たした。ホームレスの自立を支援する雑誌「ビッグイシュー・ジャパン」の販売員だ。路上生活からの脱出を目指すという理念を掲げて創刊されて三年。ようやく実現した「再就職」は、厳しい現実にさらされながら就職活動に苦戦する路上生活者たちの光明となっている。

■「最初は横文字の商品名を覚えられなくて途方に暮れたけど」

 品川区勝島にある倉庫で、ビッグイシューの元販売員男性(42)がアロマオイルなどを段ボールに詰めながら苦笑した。

 再就職先は、全国で英国式リフレクソロジー(足裏マッサージ)のサロンなどを運営するRAJA(本社・東京都中央区)。首都圏では初の再就職で、やはり販売員だった五十代男性とともに一月に採用された。

 午前九時から午後六時まで、倉庫での商品管理が仕事だ。就職から二カ月以上、無遅刻無欠勤を続けている。

 元販売員は「ビッグイシューの信頼を損なうことはできない」と気負う。

 二十年近く勤めた首都圏の企業を退職したのは二〇〇三年六月ごろ。ギャンブルと飲み食いが過ぎて借金がかさみ、退職金で返済した。「技術職だったから、すぐに再就職できると思っていた。今から思えば随分と甘かった」と振り返る。会社員当時「うちに来いよ」と、再三誘ってくれた会社にさえ見放された。

 アパートの家賃を払えなくなり、同年十一月ごろ「路上」に逃げた。JR新宿駅西口で路上生活を始めてすぐに、全財産の三万円は尽きた。寒さと空腹から、大学ノートにつづっていた日記に「死」の文字が増えた。「明日死のう」と覚悟を決めた「明日」、ビッグイシューに出会ったという。

 「炊き出しがあった西口公園で、販売開始に向けた説明会があった。ギリギリのタイミングで、ビッグイシューに助けられた」

 最初の約三カ月間は新宿で、その後はJR渋谷駅前で雑誌を売った。通常は午前十時ごろから夕方まで。毎月一日と十五日の発行日当日には午前六時から駅頭に立った。一部二百円のうち百十円が収入。月に平均十万円を稼いだ。

 再就職は、はなからあきらめていた。社会から身を隠してきた彼にとって、“身元”を告白しなければならない就職活動は、心理的なハードルが高かったからだ。だが、ビッグイシューを通じて、元路上生活者の数人に仕事を提供しようというRAJAの話に「やってみよう」と決めた。

 元販売員が再就職が決まったことを告げると、購読客からも「頑張ってください」と喜ばれた。「ほとんどが名前も知らない人たちばかり。でもずっと買い続けてくれた」と振り返る。

■『頑張れば…』現役に朗報

 初の“社会復帰”は、就職活動を続ける現役販売員らにも朗報だ。

 JR御茶ノ水駅前で販売することから“お茶の水博士”と呼ばれる五十代の販売員男性も「弾みになれば」と祈る。

 なじみ客の手伝いで、インターネット上にブログを開設し、まんが喫茶で更新しながら、路上生活をつづる異色の販売員だ。

 週に二日、新宿の高齢者職業紹介所に通い、かつて携わっていたIT業界を中心に再就職先を探しているが「やれそうな仕事がなかなか回ってこない」とこぼす。「四月になると求人がぐっと減るので今月中に何とか見つかればいいが…」

 ビッグイシュー日本・東京事務所によると、東京周辺の販売員は約五十人。このうち二十人前後が現在、都の支援策などを利用して住宅を確保し、就職活動を行っているという。だが、大半が五十代以上で、そもそも求人は多くない。

 それだけに、販売員らの再就職に、同誌広報担当の山脇千加子さん(31)は「頑張れば社会も認めてくれるという希望になる」と期待を込めながら続けた。

 「ホームレスに対して『なまけ者じゃないか』という偏見は根強い。実際、社会復帰をためらうホームレスも少なくない。路上生活が長ければ長いほど、一般社会と接することへの不安は大きくなる。それでも、頑張って働こうとしている人たちがいることを知ってほしい」

ビッグイシュー

 1991年に英国で始まったホームレス自立支援を促す雑誌。「日本版」は2003年9月に大阪で創刊され、同年12月から東京でも販売開始。現在29カ国で展開され、英国では20万部発行。日本では4万部。購読客の7割が20−30代を中心にした女性という。

 文・中山洋子/写真・梅田竜一、市川和宏